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建築の起源と経過

仁海宮は清道光6年(西暦1826年)に創設され、境内の住民、王・張・呉・余・黎氏等の先祖が、当時の中壢街景の繁栄を見抜け 、人口も段々増加したために、住民に心を慰める場所を与えるために、中壢の13大庄の上流階級の方たちを招き集め、廟の建設に関して相談し、最初に観世音菩薩が祀られ、その後、旅客と商人の行き来が頻繁であることを鑑み、旅客と商人の平安を守るために、西暦1867年、北港朝天宮から媽祖の分霊を招き、殿の主神として祀り始め、お参りが益々盛んになりました。

同治9年(西暦1870年)、初期の廟宇の構造は粗末だったために、風や雨に耐えられないために、住民により再建を提案し、同治10年(西暦1871年)に竣工し、同時に正式に「仁海宮」と名付け、また「海国長春」の匾額が掛けられ、現在まですでに5回建て直され、三殿様式の廟宇になっています。多くの信者のお参りで絶えず香煙が漂っているために、長年以来、新街廟はすでに現地住民の重要な信仰の場所になりました。

仁海宮の建築と装飾は多元的で豊富です。匾額、対聯、石柱、木彫などは、全て中壢市において、一番古い廟宇です。巍巍たる仁海宮は、新街に立ち、香煙が宮内に纏わり付き、靄靄たる媽祖婆は、北港から分霊し、蕙蘭から良質な芳香を放ちます。仁海宮は新街に位置しているために、また「新街廟」とも称されています。西暦2009年、牌楼及び駐車場が作られ、中壢市のランドマークです。

仁海宮に天上聖母が祀られ、または天后、天后娘娘、天妃、天妃娘娘、湄洲娘媽、媽祖婆とも称されています。ゆえに、仁海宮は衆生を愛念する良い場所です。